オペラいろは歌留多「と」
※お詫び~『へ』の公開を、日時予定にしていたはずなものを、下書きのままにしており、7月末日の公開が遅れました。従って、このブログが今月の前半分になります。
皆さん、今日は。映画『魔笛』は、もうご覧になりましたか? 如何でしたか――面白かった、面白くなかった、どちら? ぼくは大変満足しましたよ。上手く作り替えていたと思います。イングマル・ベルイマンが亡くなりましたが、彼の映画『魔笛』を見た時は、何かしらはぐらかされたように思いましたし、今もう1度見たいとも思わないのですがね。そうそう、『魔笛』といえば、兵庫芸術文化センター自主制作の『魔笛』がありました。佐渡裕芸術監督プロデュース・オペラの第3弾です。外国人キャストが5回、日本人キャストが3回、計8回も公演して、全回満席なのですよ。地方のオペラとしては、画期的ですね。ぼくは外国人キャストの日、8月1日を見ました。演出は、殺風景演出が得意の、ロバート・カーセンの直弟子とかいう、フランス人の女流エマニュエル・バステ女史によるもの。お手並み拝見で出掛けましたが、これがどっこい大当たり! ぼくの乏しい体験ながら、こんなに工夫とあの手この手を尽くして見せてくれた舞台は、これまで1度も無かった! モダンな設えながら、決して殺風景でも貧相でも無く、演出家の美的センスと感性を実感出来る舞台展開でした。歌手たちも揃っており、中ではザラストロを歌ったアメリカ人のバス歌手エリック・ハーフヴァーソンがBravo!でした。先日、NHKBS2で放送された、これまたステキなプロムスの『ヴァルキューレ』で、見事なフンディンクを歌っていた、スキンヘッドの人物。それにしても、この映像もなかなかのものだったですね。こんな催しがあるロンドン、彼我の差を感じます。ブリン・ターフェルの、ヴォータンがこれまたお見事でした。
オペラいろは歌留多 『と』 遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ
いくら大正から昭和のはじめにかけて、カーピ伊太利大歌劇団がやって来て、信じられないような演目(1例、ベッリーニ『夢遊病の娘』!)を上演してくれたりしたところで――また、あの浅草オペラの大繁盛で、蕎麦屋の出前持ちの兄いが、「ベアトリねーちゃん、まだ寝んねーかい…」と口ずさんでくれたとしても、日本にはついぞオペラ元年は到来しなかった。我らが作曲家の先生の中に、誰か1人でいいから、あの尾崎紅葉先生原作の『金色夜叉』の舞台――「(…)来年の今月今夜、この貫一はどこで月を見るのか。再来年の今月今夜、十年後の今月今夜、おれは一生を通じて、今夜のことは忘れない。忘れるものか。来年になったら、きっとおれの涙で月を曇らせて見せるから、月が曇ったら、この貫一は、どこかの果で、今夜のように貴様をうらんで、泣いていると思えよ(…)」――この間貫一の名台詞を、[月も曇りぬ]とばかりに、声涙ともに下るテノールの名アリアにしてくれていたら、そしてそのメロディを出前持ちが歌っておれば、もしかしてもっと一般にオペラの理解は広がっていたやも知れぬ。
――ということは、これではっきりとした事実がある。昭和31年、西暦1956年、9月29日にNHKが招聘したイタリア歌劇団公演が、東京宝塚劇場でヴェルディの『アイーダ』によって初日の幕を開けた。これが、このオペラ後進国の、いわば「オペラ元年」なのだった。
全国にテレビ放送された、オペラの舞台!
呼んだのが公共放送だ。その目的の一つに、この公演を全国に向けてテレビ放送するという事業があった。日本でテレビの本放送が開始して、まだ3年しかたっていない時代の、それもオペラの全曲中継放送。その頃いくらテレビ受像機が贅沢品とはいえ、野球やレスリングとは違うのだ。自らの手で招いたオペラ黒船による、これはオペラ開国元年。この年を皮切りに、NHKは昭和51年、76年まで、合計8回にわたりイタリア・オペラ団を招くことになる。上演されたオペラは、日本初演の7作品を含み、全26作品にも及ぶ。その内訳は、ヴェルディ9作品がトップで、プッチーニ5作品、ドニゼッティ3作品、他の作曲家は1作品ずつ。次にその全容を上げよう。
第1回56年=「アイーダ」「ファルスタッフ」「トスカ」「フィガロの結婚」
第2回59年=「オテッロ」「ラ・トラヴィアータ」「ラ・ボエーム」「愛の妙薬」「カルメン」
第3回61年=「アイーダ」「リゴレット」「トスカ」「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」「アンドレア・シェニエ」
第4回63年=「イル・トロヴァトーレ」「喋々夫人」「西部の娘」「セビリャの理髪師」
第5回67年=「仮面舞踏会」「ドン・カルロ」「ラ・ボエーム」「ルチーア」
第6回71年=「リゴレット」「トゥーランドット」「ノルマ」「ラ・ファヴォリータ」
第7回73年=「アイーダ」「ラ・トラヴィアータ」「トスカ」「ファウスト」
第8回76年=「シモン・ボッカネグラ」「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」「アドリアーナ・ルクヴルール」
タイトルの中で、太字は日本初演作品。再度取り上げられた演目で、3回を数えるものが2作品、『アイーダ』と『トスカ』である。ホール事情に触れておくと、東京文化会館は第3回公演から、フェスティバルホールは、2回目から使われており、また第7回の『アイーダ』がNHKホールの開場公演となったものだ。
今でこそ、ソリストと指揮者のみならず、オーケストラとコーラスまで帯同した、例の誇大広告的表現の「引越し公演」が当たり前になったが、イタリア・オペラ団とは、主要役のソリストと指揮者だけで、オーケストラはN響であり、脇役の1部とコーラスも日本人だった。
今の新国立劇場式と思えばよい。
テレビ放送といっても、まだVTRが無い時代も含まれ、その頃の中継放送は、ぶっつけ本番の生放送であり、再放送は映画フィルムによるものだった。お陰でマリオ・デル・モナコやレナータ・テバルディの、本国イタリアにも無い、貴重な舞台映像が残された。それが今日ではDVD化されているのだ。
よくぞ揃った、〝旬〟の声の名歌手たち!
この頃までほとんど知られていなかった、ジョルダーノの『アンドレア・シェニエ』。デル・モナコとテバルディの顔合わせの映像を見ていると、よくぞ日本の舞台で実現したものだ、との想いが強い。ぼくたちオペラ・ファンは(たとえこの機会を逸した人でも)、こんな事実を忘れてはならぬし、やって来た歌手たちが、皆〝旬の声〟だったことを高く評価したい。
ソプラノ歌手、カラスやサザーランドこそ実現しなかったものの、テバルディは1度だけにもせよ、十八番のトスカまで歌ってくれたのだ。テノールだって、デル・モナコは絶頂期だったし、極め付きのオテッロはもとより、ラダメス、カニオ、シェニエそしてイタリア語ではあったものの、ドン・ホセと、5役ものお得意の役を2回に分けて歌ってくれた。3大テノールだってきっちり招いているし、中でカレーラスは2度もやって来た。ドミンゴはヴェリズモ・オペラのダブル・ビル、そのトゥリドゥとカニオの両方を、全公演ではなかったものの、一晩のうちに歌ったし、パヴァロッティは十八番のマントヴァ公爵だった。ディ・ステーファノとコレッリが入っていないとて、文句を言う筋合いなぞ、これっぽっちも無いのである。そしてこれがメッゾ・ソプラノやバリトンとなると、百点満点といっても過言ではない。
早く病没したバスティアニーニだって、極め付きルーナ伯爵で登場したし、この時もしも予定通りにデル・モナコが参加しておれば、ステッラ、シミオナートと揃った、世界遺産的な映像やステレオ録音が記録されていたはずだ。これって、スカラ座のオープニング並みのビッグ・カンパニーですよ。
どれほどのコミッションを懐にしたものか、知らないが、これだけの面子を集めたアントニオ・ショーヤットなるご仁のお手柄だろう。わが国のオペラ人名辞典に記載されても何ら不思議では無い人物だ。その伝でいけば、ブルーノ・ノフリBruno Nofri なる人物も同じこと。26作品のうち、23作の演出を手掛けた。同じオペラでも、その都度新演出であった。 彼はいわばこのカンパニーの座付き演出家だったが、この人程関係者に評価されなかった人物も珍しいだろうか。かつてあるオペラ演出家に、何か1作くらい見るべき舞台はありませんでしたか、と食い下がると、彼はしぶしぶ『仮面舞踏会』を上げたものだ。ヴィスコンティやゼッフィレッリでは無くとも、この人がいたからこそ、舞台の諸条件の揃わぬ中、名立たる歌手たちが動いたのだ。一流の名前だけを意識した、それはオペラ評論家などの底の浅さだろうか。再放送のエア・チェック映像で見る『ドン・カルロ』や『仮面舞踏会』、コッソットとクラウス(2度も来てくれた!)の『ラ・ファヴォリータ』の、何処が気に食わぬのだろう。
今日のぼくたちのオペラ理解は、まずこのイタリア・オペラ団にその原点があった。オペラとは、日本にいながらでは、遠くにただ音だけが聞こえる、そんな実像の無いものだったが、それを近くで目にすることが出来、名歌手たちによる、ぼくたちの鼓膜の震えを体験させてくれた、それは掛け替えの無い公演だった。決して忘れてはなるまい。
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コメント
こんにちは、興味深く、読ませていただいています。
>映画『魔笛』
とても、おもしろかったです。
ベルイマンのはテレビで見ましたが、評価が高い理由がわかりませんでした。
>ジークムントはペーター・ホフマン。1度でもラッキーなのに、パルジファルまでも彼だった。
僭越ですが、とってもうらやましいです。
>このミュージカルのハンブルク・キャスト盤はブラヴォーなのだ。
いいですね!
投稿: edc | 2007年9月 8日 (土) 21時16分