オペラいろは歌留多「か」
オペラ・ファンの皆様、今日は。町に早々とクリスマスの飾りが出始めました。この頃は、ご家庭でもいろいろな電飾が趣向を凝らして見られますね。ファッションですね、まったく。音楽会は毎年のことながら、第九の大盤振る舞い。カラヤンは度々ベートーヴェン・チクルスをやっていますから、当然第九シンフォニーだって何回も指揮しているのですが、ベームが1度だけ第九を振っていたのを覚えていらっしゃいますか。1963年11月7日
の日生劇場。新しく開場した劇場のために、初来日した「ベルリン・ドイツ・オペラ」。その特別演奏会の1つでした。同オペラのオケにコーラス、独唱はワルター・ベリーBr、ジェームズ・キングT、エリザベート・グリュンマーS、クリスタ・ルートヴィヒMS。コーラスは最初から板付きでしたが、ソリストだけ第4楽章の鳴り出した途端、上手から入場。3楽章が終わるやいなや続いて開始されましたから、もうあれよあれよでした。実は、この模様は後日テレビでも放送されましたし、ライブ録音がCD化されました。しかも、れっきとしたステレオ
録音! 録音したのは、この時のオペラも含めて、NHKじゃなくてニッポン放送だったのですよ。88年のことで、この年同放送は開局35周年だったのですね。
レーベルはPONY CANYON。ライブ音源のうち、オペラは『フィガロの結婚』だけが、確か
再発売されたと記憶しますが、肝心の『フィデーリオ』が眠っています。至高のライブが!
ベームはこの年、バイロイト祝祭でも振っているのですね。バイエルン放送がまだステレオ化されていない頃ですから、当然モノーラル。1度クラウンレコードからCDが出ました。
原盤はMelodramとありますから、非正規音源ですかね。63年7月23日、と記載があります。ソリストはジョージ・ロンドン、ジェス・トーマス、グンドゥラ・ヤノヴィッツ、グレース・バンブリーとあります。実はこの年はワーグナー生誕150年祭だったのです。日生劇場はそんな記念の年に開場し、ベームでは無くマゼールだったにもせよ、『トリスタンとイゾルデ』はそんな節目の年に日本初演されたのですね。
P・テュアリング女史の名著『新バイロイト』(72年、冨山房刊)にもきっちり明記されています。曰く「それは偉大な演奏ではないとしても、立派なものであった」と。では偉大な演奏とはどのような演奏でしょうか? 立派な演奏で、何が不足でありましょうか? 日生劇場の当夜、音楽が進行するに連れて、ベームの気迫が次第に高潮し、最高潮で最終楽章に突入した様を、この録音を聴くたびに思い出します。オーケストラはもちろん、ベルリンやウィーン・フィルではありませんでしたが。それはそうと、ヴィーラント演出、ベーム指揮のあの不滅の『トリスタン~』は、前年から始まっていたのです。
オペラいろは歌留多 『か』 カラヤンはオケピに入らずワリを食い
世の中の、年季の入ったクラシック音楽ファンの中には、カラヤン嫌いが数多く存在する。カラヤン大好き、なんて人に言おうものならば、笑われそう、とでも思っている人がままいらっしゃる。え、お前さんはどうなのかって? 別に嫌いじゃありませんよ。ベルリン・フィルとの来日公演ではあるが、1度ならずゾッとするような演奏を聴いた手前、カラヤンをバカには出来ないのだ。格別大ファンではないが、さりとて蛇蝎の如く毛嫌いする訳じゃない。要するに、カラヤン・アレルギーでは無いつもりだ。
極めて伝染性が高いこの病気(?)は、何かクラシック通人のかかり易いものだろうか。
カラヤンの表面だけ飾った、ただ美しいだけの音楽では無く、自分はもっと奥深い所で音楽を聴いていますよ、精神的な高まりのある音楽を聴いていますよ――。
ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-89)。ギリシア系のオーストリア人。あのモーツァルトと同じザルツブルク生まれ。天才というか、才人と言おうか。レコード録音という、文明の恩恵を徹底的に取り込んだ指揮者。アナログからデジタルへ、映像もしかり。
俳優やモデルでも無いのに、肖像権を主張し、完璧なまでに自分をスターの高みに祀り上げた人物。オーケストラを指揮した姿を納めた映像では、音楽よりもまず自分を見よ、と言わんばかりのポーズ。精神的な高まり、深まりを意識するや知らずや、歳を重ねるほどそのもったいぶった態度で全て良し、と人生を生きた男。およそ老人の枯れた芸術など、爪の垢ほども持たず、枯淡の境地などは何処吹く風、と徹底したその芸術家人生。敵視される要素は多いか、こんな風では!
来日は単身から始まった!
彼はまず、単身でNHK交響楽団を指揮するために初来日(1954年)して以来、ウィーン・フィルとは1度きりだったが、ベルリン・フィルとは合計10回も来日した。
ぼくが初めてカラヤンを聴いたのは、第2回目のベルリン・フィルとの来日の時だったから、66年。フェスティバルホールで、4月22日と30日の2ステージ。何よりもまず、ホールに鳴り響いたR・シュトラウスの交響詩『ドン・ファン』にびっくりしたものだ。
出せる音に、まだまだ余力があるみたいな、そんな鳴り方――これが名にし負うベルリン・フィルか、カラヤンの指揮力なのか! まだベームが指揮したウィーン・フィルを聴いていなかったが、この日のトリの曲ブラームスの第1交響曲も驚きだった。
ぼくのカラヤン体験は、何も自慢たらしく書くまでもないのだが、次は最初の大阪万博の時のベートーヴェン第4と第7シンフォニーと、次にやって来た第4次の時だけだ。何れもフェスティバルホールであり、ザ・シンフォニーホールでは聴かずじまいであった。最初の2晩のR・シュトラウスは、大曲『英雄の生涯』も含めて、思い出せるが、ドヴォルザークの第8シンフォニーやワーグナー(『タンホイザー』と『トリスタンとイゾルデ』)なんか、今では記憶のはるか彼方だ。シュトラウスは何れにせよ、もの凄い演奏だった!
お陰でカラヤンの悪口は言いたくないのであるが、もしこれに加えて、彼のオペラ体験でもあれば、もっとその気持ちは深まったに違いない。
録音では、彼の指揮したオペラはよく聴いたものだ。今も聴くのはカラスとの録音であるが、1番のお気に入りは、ウィーン・フィルを振った『トスカ』だ。最初はRCAヴィクターのソリア・シリーズなる豪華仕様で出た。ウィーンでの録音を請け負ったのは、あのカルショーで、当然のことに今ではDECCAレーベルである。
NHKの秘蔵映像が商品化されたが、何しろマエストロに映像の重要さをインプットした張本人は、日本人なのだ。それなのに、彼は1度も日本でオケ・ピットに入ろうとはせず、徒に歳を重ね、ある曲の出だしを振り間違う体たらくだった。
真骨頂はオペラだった…
『薔薇の騎士』(シュヴァルツコプフ)、『オテッロ』(デル・モナコ)、『カルメン』(バルツァとカレーラス)などは、今もなお他の追随を許さぬし、腰の思いベルリン・フィルに耳を取られねば『ラ・ボエーム』もあるし、クナッパーツブッシュをさて置く訳には参らぬが、『パルジファル』は名盤だ。「レオノーレ序曲3番」が無いのは物足りぬが、『フィデーリオ』はなかなかよろしいし、ドレスデンの『マイスタージンガー』だって捨て難い。
『リング』はパスしたが、ライブ録音は別物で、51年の『ラインの黄金』と『ジークフリート』は面白い。『アイーダ』はどうしたことか、デル・モナコで無かったが、悪くはない。
カラヤンは、51年のバイロイト・ライブの『マイスタージンガー』全曲と『ワルキューレ』3幕(貧しい音!)以外は、ライブ録音を許さなかった。僅かに60年の『薔薇の騎士』の映像だけが例外だった。しかし、海賊盤LPとしてはザルツブルク祝祭の『イル・トロヴァトーレ』やベルリンのカラスの『ルチーア』が、音質の良さでトップ商品だった。没後は正式に、ドキュメントとして発売されたが、この『ルチーア』の音源とは何なのだろう。放送局の原テープなのだろうか。ヴェルディは『ドン・カルロ』共々にORF音源であろう。
実は70年の大阪万博の時に、彼がオペラを指揮するかも知れない、という情報が流れた。新聞にも書かれたが、これはどうした訳か流れてしまった。また、未確認だけれども、あのスカラ座の『ランメルモールのルチーア』のカンパニーが、日本へ行ってもよい、という打診があったとそうだ。55年つまり昭和30年というとまだ戦後のこととて、外国からの招聘は、大手の新聞社の事業部かNHKだった時代だ。それにしても、余りの巨額な経費に、誰もが手を出さなかったという。ベルリン公演は、オーケストラはスカラ座では無い。もし実現しておれば、オーケストラはN響だっただろうか。NHKのイタリア・オペラ(正式にはリリカ・イタリアーナと言った)が始まったのは翌年だから、これはどだい無理な話だったのだろう。
ある時の電話予約でのやりとり。「ベルリン・フィルでございますね?」「いやいや、違う、カラヤンや!」――この受付嬢との会話が、日本でのカラヤン人気を象徴している。万博の年、ベートーヴェンのシンフォニー2曲の演奏中、ずっと居眠りしている客の隣で、ぼくは聴いていたものだ。曲が終わって、拍手だけは盛大にしている客。え、ダルなベートーヴェンだったのだろうって? 7番はまだマエストロの真骨頂が聴けた時代だった。
『薔薇の騎士』や『ドン・カルロ』とは言わない。せめて『トスカ』でも、1回だけでも、カラヤンがオケ・ピットに入ってくれていたら! カラヤン嫌いの病は、少しは癒されていたかも知れない。
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