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オペラいろは歌留多「う」

 皆さん、今日は。ようようと秋の冷気が肌に感じ取られる季節がやって来ましたね。お楽しみはこれからです。
 ニルソンの自伝が出ました。お読みになりましたか。『ビルギット・ニルソン~オペラに捧げた生涯』市原和子氏訳、春秋社。
 DIVAは1918年のお生まれですから、今年は生誕90年。それにしては、CDも何も、格別目新しい動きはありませんね。封印されているからして、NHKのお宝映像「大阪バイロイト」の「トリスタンとイゾルデ」が日の目を見る訳じゃなし…。そんな時のこの本の発売です。面白かったですね。なーんも言うことありませんね。
 何より、この手の本にありがちな、自画自賛本じゃないところが素晴らしい。
 彼女が共演した名歌手たちへの、常に変わらぬ敬意と愛――指揮者や演出家たち、オペラ・ハウスの主なスタッフの皆さん――そう言った人たちにも、惜しみなくその心意気が表されています。もちろん賛意ばかりじゃない。カラヤンなど、言うべきことはちゃんと核心を突いて物申しています。ユーモア精神に溢れているところが、何より拍手です。
 あれは、1967年4月7日でしたね。ニルソンが大阪でイゾルデを歌ったのは。大阪がまだ活力を残していた時代、大阪国際フェスティバルが第10回を記念して開催した、「バイロイト・ワーグナー・フェスティバル」(プログラムにそう明記されています)。演目は「トリスタンとイゾルデ」と「ヴァルキューレ」。前者は初演の栄誉こそ63年の日生劇場開場時のベルリン・ドイツ・オペラに譲ったとは申せ、何しろ当時のバイロイト祝祭の金看板、ニルソンとヴィントガッセンの揃い踏みによる上演でした。
 ぼくは初日ともう1日、13日を見たのですが、実はゲネプロを見ることが出来ました。日記を書く習慣が無かったものですから、日程を特定出来ないのですが、中2日空けたとして、4日でしたでしょうか。
 当時朝日新聞の音楽記者をされていたU氏のご好意で、首尾よくフェスティバルホールへ潜り込んだものです。カーテンが新調され、何か特別な催しが行われる雰囲気が漂っていました。本来ならば、ボックス席中央の演出家の席には、ヴィーラント・ワーグナーがいたはずですが、天才は無念にも前年の秋に病死していましたね。しかし、そのプロデューサーとしての心意気の見上げたこと!
 ぼくはボックス席後方、それもセンターより上手の席にひっそりと身を潜め、ひたすら開始を待ちました。やがて場内が暗くなり、ブレーズが登場し前奏曲が香り立ちました。おもむろにカーテンが開き、ガランとした舞台のやや下手に座しているのはニルソンです。しばらくして気がついたのですが、他の歌手たちはほとんど声をセーブして歌っていました。
 ところが、開口一番轟き渡ったニルソンの第一声――ほとんど無人のフェスティバルホールで初めて聞いたDIVAの声に、ぼくは金縛りになったものでした。彼女だけが、全開で歌っていた! この時合計4ステージのイゾルデ、そして1回(東京1回あり)のリサイタル――たっぷりとその時聞けたその声を反芻しつつ、自伝を貪り読みましたよ。

 オペラいろは歌留多 『う』 ウィーンはぼくにとっても夢の街

 萩原朔太郎の詩をもじれば「うぃーんへ行きたしと思へども/うぃーんはあまりに遠し」で、情けないがぼくはまだ維納行きを果たしていない。ああ、ウィーン我が夢の街――。
 維納小唄『ウィーンわが夢の街』を初めて耳にしたのは、ビルギット・ニルソンのリサイタルだった(1967年4月20日)。満面に笑みをたたえて、ふくよかな身体を揺すりながら、輝くばかりの声で朗々と歌った姿が、今も目に浮かぶ。彼女のリサイタルは、この歌が歌われるとお開きになることを、当時のぼくは知るはずも無かった。
 エーリッヒ・クンツやフリッツ・ヴンダーリッヒ、ペーター・ミニッヒなんかもよろしいが、これはやはり軽やかにソプラノで歌い上げて欲しい。
 いろんな人の録音を聴いて来た。ライブ各種のニルソンはもちろん、〝正調〟シュヴァルツコップフや名も知らぬオペレッタ歌手たち。最近になって、ステキな録音を聴くことになった。べヴァリー・シルズの「ウェルカム・トゥ・ヴィエンナ」。『春の声』をイタリア語で歌った変わった1枚だが、ここで彼女はベル・カントでたっぷりと維納小唄を、それも気持ち良さそうに歌っていてる。国内盤LPは出たものだろうか? 彼女は『メリー・ウィドウ』だけは録音したようだが、例えばヨゼファ(白馬亭にて)なんて、イメージはぴったりだね。
 
 どうしてウィーンなんて発音するの? 
 ウィーンはもうそろそろ、〝ヴィーン〟とカナ書きしてくれぬものか。WIENと書いたものを、誰が何時英語読みしろ、と言ったものか。酔っ払っていたのか?
 せめてヰ゛ーンとでも書いていてくれておればよかったものを。もっとも、今日の新聞表記だったら〝ビーン〟になって、何やら豆もどきか。ベルディやベートーベンはまだしも、グルベローバなんて気持ちが悪いね。ご丁寧なことに〝グルベ・ローバ〟(某芸能誌)なんてものもありましたぜ。老婆にはまだ早いわとDIVA言い――。
 ウィーラント・ワーグナーなんてのもイヤですな。
 短かった公共ホールのプロデューサー時代に、1度だけだったが、ニューイヤー・コンサートを企画し実現したことがあった。これは楽しい仕事でしたね。曲目選びから構成まで一手に引き受けた。30程度の小編成のオーケストラをバックに、ソプラノ2人、テノールとバリトン。ソプラノは1人はスーブレットだった。
 この時嬉しかったのは、テノール氏がぼくの好きな『マリッツァ伯爵令嬢』からタシロが歌う「ウィーンによろしく」を見事に歌ってくれたことだ。日頃ヴンダーリッヒの芝居っ気たっぷりな絶唱を聞いている者として、この時の熱唱ぶりはブラヴォだった。
 これもいろんなテノールで聴いて来たが、ドミンゴなんかは気の抜けたシャンパンですな。ルネ・コロはまずまずかしら。くどいようだが、これはヴンダーリッヒにとどめを刺す。
 ウィーンでもう1つ忘れられない音は、あのツィターの響きである。奏するはアントン・カラス、とくればキャロル・リードの映画だが、ぼくの企画で画竜点睛を欠いたのは、ツィター奏者を考慮しなかったことだ。関西にそんな人がいると思わなかったことだ。

 ウィーンと言えば、ぼくにはこの映画
 そう、『第三の男』。何度見ても見飽きない映画だが、これは第二次大戦で瓦礫と化した古都ウィーンの、実写がカメラに収められたことでも、記録的価値の高い名画なのだ。
 一度メーキング映像を見たが、これはすこぶる面白かった。オースン・ウェルズがなかなかやって来ないので、その間を利用しての、撮影のための工夫の数々――建物の壁に大きく写るハリー・ライムの影の撮影裏話、やって来たら来たで、地下水道でのロケを嫌がった我儘ぶり、それに対処するためのアイデア、マンホールの蓋から突き出る指先は、リード自身のそれ――これまた何回見ても興味が尽きない。
 「スイスの長く続いた平和が生み出したものは、鳩時計だけだ」というハリーの名台詞は、ウェルズの発案だった――そして、ラストの無言シーン。シナリオを書いたグリーンは、観客がエンド・マークまで立ってしまうぞ、と反対したが、頑として聞き入れなかった名監督。原作者のハッピー・エンドも採用しなかったリードの心意気――。
 人は『会議は踊る』や『黄昏の維納』をあげるやも知れぬが、ぼくは断然『第三の男』だ。
 例の心中事件を扱った『うたかたの恋』を持ち出す人もおられよう。そう言えば、ダニエル・ダリュウとシャルル・ボワイエのフィルムは、そろそろ安値DVDになってもよさそうなのに、見当たりませんね。このお話を、アメリカへ亡命したカールマーンが『マリンカ』なるオペレッタを作曲した、という話を小耳に挟み、ミュージカル仕立てで上演出来ないものか、と著作権を調べたが、結局分からずじまいだった。識者によれば、何でもルドルフとマリーが死なずにいて、密かにアメリカに渡り、余生を過ごすという驚くべきものらしい。作品としては重要で無くても、そこはカールマーンだ、何か心に迫るメロディが無かったものか。
 マイヤーリンクの悲話は、確かイタリアの女流(名前を失念した!)がオペラ化し、近年にローマで上演されたそうで、それを見た人からパンフレットのコピーをいただいたのだが、散逸してしまった。なお映画化は、フランスの2種以外に、ドイツで1度、オーストリアで1度映画化されているそうだが、日本で公開されたかどうか。

 ウィンナ・オペレッタは楽し
 オペレッタは楽しい。それはウィーンからフォルクス・オーバーが来日してくれて、やっとぼくたちにその楽しさが理解出来たものだ。今夏、兵庫芸術文化センターが制作した、『メリー・ウィドウ』は、日本人の手掛けた舞台としては、破格の出来だったから、わが国のオペレッタも進化したものだ。しかし、そのレパートリーは何時までたっても、広がらない。レハールなんか、可哀想にこれ1作しか作品が無いみたいな有様なのだ。見て、聴いて、楽しそうなオペレッタは沢山ある。『こうもり』ばかりでも無いのだ。
 『会議は踊る』を監督したエリック・シャレルは、ベルリンを中心に、オペレッタなどの舞台を演出していた人物だが、彼が企画し制作つまりプロデューサーの役割を果たし、演出したオペレッタにラルフ・ベナツキー作曲の『白馬亭にて』がある。これは音楽を1度聴くと忘れられなくなる楽しいオペレッタで、寺崎裕則氏の日本オペレッタ教会による日本語上演をみただけなのは、如何にも残念だ。
 今年のメルビッシュ・オペレッタ・フェスティバルが取り上げたので、近いうちにNHKがまずBShiで放映してくれるだろう。但し、このオペラレッタは厳密に言えばベルリンのオペレッタだ。しかしウィーンでも人気演目として知られている。
 録音ではローテンベルガーとペーター・ミニッヒのものを愛聴して来たが、これはLP時代に今一歩で国内盤が出るところだったようだ。もし出ておれば、対訳付きだっただろうに。
 だから、字幕ありなのでテレビ放映は大変ありがたい。
 ところで、昭和27年に旧帝国劇場で1つのミュージカルが上演された。題して『美人ホテル』。戦後駐留軍の接収から返された、箱根湖畔のホテルを舞台に繰り広げられるラブ・コメディ。これが何と『白馬亭にて』を下敷きにした国産ミュージカルだった! 日本の元祖ミュージカル・プロデューサーだった、秦豊吉氏。彼は宝塚歌劇の創設者小林一三翁に見込まれた人物だが、オペレッタのパリ公演を見て、これからの宝塚はレビューでは無く、ミュージカル・コメディを目指すべし、と打電した卓見の持ち主だった。戦後、劇場に復帰すると、国産ミュージカルの実現に着手、帝劇を拠点として〝帝劇ミュージカルス〟なるシリーズを制作した。この時、主役に抜擢されたのが、当初はタカラジェンヌだった越路吹雪であった。ホテルの女主人役、つまりオペレッタで申せばヨゼファが彼女で、相手役のレオポルトにはエノケンつまり榎本健一が配役された。
 当時のパンフレットのコピーを入手したが、どこまで音楽が使用されたものか、何も記載が無いので、一切が不明だ。もしベナツキーや作曲に参加したローベルト・シュトルツの歌が歌われておれば、著作権はどうなったことやら。
  
 

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