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オペラいろは歌留多「ゐ」

 皆さん、お元気ですか。お変わり無く、オペラをお楽しみでしょうか? ロッシーニ・オペラ・フェスティバルの初来日公演が近づきましたね。何やら、東京でもチケットが売れないとか? ホンマでっか? びわ湖ホールはどうなっているのやろ。これって、古い話で恐縮ですが、67年の大阪バイロイト・ワーグナー祭以来の快挙ではありませんか? 
 そんな大袈裟な、と仰いますか。ここで例えば「マオメットⅡ世」なんて見逃しますれば、もう当分どころか、多分数10年見られませんよ。一期一会、千載一遇、こんな言葉が思い浮かぶのが、このオペラの日本初演です。ぼくって何も、朝日新聞の回し者でも何でもありませんよ。このオペラの音源、つまりPHILIPS原盤のCDを聴いて、そう実感しているのです。これは素晴らしいオペラだ!
 話は変わりますが、ぼくは古本大好き人間です。今日は、幸いネット検索なる便利なものがあって、居ながらにして遠く離れた街の古書店の商品が手に入ります。それはNHKイタリア・オペラの古いパンフレットであったり、野呂信次郎さんという音楽評論家のお書きになった、オペラ名作梗概集『オペラは愉し』だったりします。そしてこの一冊――角川文庫の『蝶々夫人~イタリア歌劇名作集』――昭和35年の発刊。どうですか、文庫本ですよ。中身は後2作、『トスカ』と『アイーダ』。もちろん対訳ではありません。台本の翻訳です。これがワーグナーならば、岩波文庫に何冊か前例があります。およそイタリア・オペラの台本が、このように翻訳文学として(!)文庫で読める形で出版されたのは、これが唯一無二では無いでしょうか。訳者は、矢崎源九郎氏。北欧と南欧文学の翻訳者だそうです。これは、まさしくオペラの全曲盤に添付された対訳台本の翻訳に非ず、イタリア・オペラの台本を、小説や詩のように、文学作品として認め、訳されたものなのです。訳者によるこの3作のオペラの解説が、まず揮っています。全文をここに紹介したいくらいの、オペラそのものの解説になっています。
 NHKがイタリア・オペラ団を招いたのは、昭和31年。2回目は34年、続いて36年。おそらくその影響で、世にブームが起きて、台本の翻訳に読み手が現れる、と思ったものでしょうか――因みに、この頃、平凡社が「対訳オペラ全集」全12巻を刊行。これは当時としては行き届いた作品収録の全集ですが、その第1回配本は第7巻「ヴェルディ篇」です。収められた作品は、『椿姫』『アイーダ』『オテッロ』。
 この本はネット検索しても端本が2、3,000円で現れていますが、なかなかのものですよ。

 オペラいろは歌留多 『ゐ』 イラストで《リング》を捉えたシュタッセン

 《リング》つまりリヒャルト・ワーグナーの大河オペラ『ニーベルングの指環』。この上演に四夜を要する巨大なオペラは、このオペラ後進国でも一再ならず日の目を見たお陰で、ぼくがワーグナー理解の緒に着いた頃とは比べ物にならぬくらい、ポピュラーになってしまった。あの『ワルキューレ』単独上演が、大阪で日本初演を見たのが1967年。もう41年前の出来事になってしまった。
 大阪がまだ活力のあった時代だ。裏金だって必要としなかったものか?
 ここで日本人による《リング》各オペラの上演史をおさらいしておくと、二期会によりまずは『ラインの黄金』が初演されたのは69年。続いて『ワルキューレ』72年、『ジークフリート』83年、『神々の黄昏』91年――足掛け22年を費やしている。
 ところで《リング》を家庭で楽しむための素材――音楽だけに限らず、映像も本家バイロイトを始め何種類も出回っているし、音だけならば選択するのに迷うほどのCDが店頭に並んでいる。ショルティ指揮〓カルショー録音のDECCA《リング》を、録音順に買っていた時代とは大違いなのだ。でも、そんな頃が懐かしいね。
 演奏団体などに注文を付けなければ、5,000円でオツリの来る全曲セットもあるご時世なのだ。付きっきりじゃなくとも、PCに簡単操作でバイロイトの放送がダビング出来る今日、何も七面倒臭い解説本を読まなくとも、例えばコミックで楽しむ事だって可能だ。絵が上手いかどうかはともかく、日本人の女性の手になるものが2種類もある。
 《リング》の各場面を描いたのは、何も今に始まったことでは無論無い。その元祖的な存在に、イギリス人のイラストレーター、アーサー・ラッカム(1867~1939)がいる。物語の挿絵画家として有名で、例えばキップリングの『ジャングル・ブック』やジェームズ・バリーの『ピーター・パン』などでも知られている。

 イラストを見ながら音楽を楽しもう
 ぼくの手元にNYで出版された歌詞入り(英訳)の2冊本があるが、全部で65点の彩色イラストが収められており、なかなか見応えがある。アール・ヌーボーの画風だが、見易く理解し易い絵だ。わが国では、全作では無いかも知れぬが、新書館から出た〝ペーパー・オペラ〟シリーズ(歌詞だけを訳したもの)の《リング》各巻で知られている。
 ワルハラへ懸けられた虹の橋を見上げるラインの3人娘といい、ファフナーを退治するジークフリートといい、なかなか見飽きない絵面である。
 あと一人、ぼくには印象的な画家がいる。その人の名前は、ウル・デ・リコ UL DE RICO (1944~)。イタリア人だ。大判の画集を、ぼくは昔にMETのスーベニール・ショップで手に入れた。もっとも、これは確か日本語版が出た、と記憶する。
 ひと頃黒田恭一氏が編集した音楽雑誌『音楽通信』(ステレオサウンド社刊、84年1月号創刊、同年6月号廃刊)に4回にわたり、全作30点の中からチョイスして紹介されたものだった。この短命に終わった(いわゆる3号雑誌では無かったが)雑誌を、今見てみると、なかなか面白い編集だったと思う。カルショーの『新音楽家事情』なる連載も興味深い読み物だったし、うるさくない程度にクラシック音楽以外の音楽も取り上げられており、なかなか黒田編集長の工夫はお見事だったのだ。大判でヴィジュアル効果も満点だった。
 さて、ウル・デ・リコなる人物は、北イタリアの生まれでミュンヘンに移り住んだそうだ。大のワグネリアンで、バイエルン州立歌劇場の舞台美術家ルドルフ・ハインリヒに教えを乞うた、とある。原画は油彩か何か知らぬが、イタリア人らしい克明なタッチの細密画で、ラッカムとは全く趣きを異にする画風だ。実際のところ、この人に舞台を飾らせようとする演出家は現れなかったのだろうか。
 本名はウルデリコ・グロップレロ・ディ・トロッペンブルグといい、何と伯爵なのだそうだ。
 バイエルンと言えば、何時だったか、ウィーン幻想派のフックスに美術プランを任せた『ローエングリーン』があったようだ。また、これも朧げな記憶だが、パリ・オペラ座の『パルジファル』の美術が、あの『死の島』で有名な画家ベックリンを想わせる、なんて文章を読んだことがあった。今日のオペラの舞台に、そんな美意識を求めても所詮は空しい戯言なのだろう。世はDivaシミオナートの言う「下品な演出」の最盛期なのだ。
 ところで、ここに日本ではほとんど知られていない1人の画家が存在する。

 まぼろしの画家は、ナチだった!
 その人の名前はフランツ・シュタッセン FRANZ STASSEN (1869~1949)。ラッカムより2年後に生まれ10年長生きした。何でも熱烈なナチだったそうで、戦後忘れられてしまったのは、そのせいだろうか。生まれはフランクフルト近くのハーナウという小都市。人口は9万人というから、バイロイトとほぼ同じくらいだろうか。あのグリム兄弟が生まれた町として知られている。99年に没後50年を記念して、大々的な回顧展が開催された。その時のドイツ語の資料が手に入ったので、Sさんの手を煩わせて翻訳してもらった。
 シュタッセンは《リング》以外にも『トリスタンとイゾルデ』や『パルジファル』のイラストを残しているという。画風はドイツのアールヌーボー、ユーゲント・シュティールだ。《リング》をモチーフにした最初の画集は、まず『ラインの黄金』を描いた24枚のリトグラフとして出版された。80×60センチの大判の作品だそうである。
 ぼくが見た複製は、作品の数としては7点だけだが、初めて見てその古怪なタッチに驚いた。これは82年に発売されたマレク・ヤノフスキ指揮の《リング》全曲LPの予約者に特典として配布された、何人かのイラスト集に収録されていたもので、ここには当然ラッカム(ワルキューレ)も含まれていた。なお、『ジークフリート』と『神々の黄昏』は、何やら道具帖の原画、つまり舞台スケッチ風なものだが、作者は不明だ。
 ラッカムに比べても、断然シュタッセンが際立っており、その全作を見てみたい想いが今も強い。『ワルキューレ』26枚、『ジークフリート』30枚、『神々の黄昏』40枚とそれぞれ単独で発売されたそうだ。そんな中の1作が、バイロイトの古書店で8万円ほどで手に入る、との情報が寄せられたが、手元不如意で諦めた。
 それぞれ限定何部程度のものか知る由も無いが、この異才によるオペラのシーンを切り取ったイラストへの興味は尽きない。
 ぼくはかつて気の向くままに、《リング》のノヴェライゼーションを試みたことがあったが、この時にもしシュタッセンの全作品のコピーがあれば、どんなに参考になったか知れない。中でも『神々の黄昏』はぜひ見たいものである。
 ぼくの見果てぬ夢は、この知られざる画家の全貌を伝える意味でも、彼の絵をあしらった拙文の一本を作ることだが、どうやら夢まぼろしに終わりそうだ。

 

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