オペラいろは歌留多「く」
皆さん、今日は。今年はどうしたものか、スクリーンでオペラを見る機会が多くなりました。実際の舞台見物は、びわ湖ホールの《トゥーランドット》くらいなもので、お寒いのですが、映画館ではまずグラインドボーンのヘンデルのオペラ(ジューリオ・チェーザレ)に驚いたと思えば、例のMETライブでマスネの《タイース》に続いて《ルチーア》を見て大いに興奮しました。ネトレプコ入魂のルチーア! ミミも素敵でしたが、このルチーアも気合が入っています。演出の工夫もなかなかのもので、結婚式の場のアイデアなんて、拍手ものです。びわ湖の《トゥーランドット》は、舞台作りの好みはともかく、グランド・オペラとしての設えを見せてくれただけでも、これまた拍手でした。日本人だけでダブル・キャストが組め、こんな上演が可能になったなんて、あのNHKイタリア・オペラの頃(71年)を思い出しますと、隔世の感がありますね。
ただ、来年度の演目が《ラ・ボエーム》と発表され、いささか拍子抜けです。オール日本人キャストの同オペラなんて、あまりぞっとしませんね。いやはや…。
オペラいろは歌留多『く』くすりにしたくも見当たらぬオペラ・エッセイ
ノーマン・トリーグル Norman Treigle なるアメリカ人のバス・バリトン歌手なんて、まったく知らなかった。1927年にニューオーリンズに生まれている。ニューヨーク・シティ・オペラにデビューしたのが53年で、3月18日に《ラ・ボエーム》のコッリーネを歌った。同じ月の6日が満26歳だった。この知られざる名歌手は、満48歳の誕生日を迎えることなく、75年の2月16日に、生まれ故郷の自宅で死んでいるのが発見されたという。死因は何でも、睡眠薬中毒だったそうだ。
そのために、一時は自殺説が流れたそうだが、その考えを強く否定したのが、あのべヴァリー・シルズだったという。
ぼくにこのことを教えてくれたのは、故三浦淳史の音楽エッセイ『メフィストフェレスの死』だ。収められた本は、大阪の名書肆湯川書房から79年に刊行された『レコードのある部屋』。氏の書かれたものを見つけると、雑誌であれ、公演のパンフレットであれ、愛読してしたものだが、この本の存在は気がつかなかった。代表的な本は、2冊本の『レコードを聴くひととき』であるが、これは氏が音楽雑誌や何かに、それまで書いて来られた長短の音楽エッセイを集大成した本だと思えばよい。先の湯川書房本は、雑誌「ステレオ・サウンド」に連載されたエッセイを集めたものだが、連載中に、書肆の主湯川氏から将来1冊に、と望まれ、その喜びをあとがきに書いておられる。巻頭の「夏の歌~グレッズのデリアス」は、パリからそれほど離れていない美しい村に住み、作曲に明け暮れたという、イギリス人フレデリック・ディーリアスのお話。グレッズとは、作曲家が生活した村、グレ=シュール=ロアンのこと。読んでいると、思わず知らず、その音楽を耳にしたくなる、そんな文章である。
知られざるエピソードを知るよろこび
一篇ずつ、ポツポツと読み進んでいると、先のバス・バリトン氏のエッセイに辿り着いた。はてこの人は? 何と、今これから聴こうとしていたヘンデルのオペラ《ジューリオ・チェーザレ》のCDで、タイトル・ロールを歌っている歌手ではありませんか。ぼくはこの本を、この一月末、神戸の地下街サンチカで毎年開催されている古書即売会で見つけた。
CDは、クレオパトラを歌っているシルズがお目当てのものだったが、この67年に録音されたRCA盤は、前年66年にNYシティ・オペラが、このヘンデルの復活上演での大評判を受けて録音されたものだが、リアル・タイムにはこの島国ではほとんど問題にされなかったようだ。
シルズという名ソプラノ歌手自体も、いわば無視された存在で、オペラはもちろんのこと、単身の来日も果たさなかった。1部のファンには知られていたが、新聞なんかは何も知らぬとみえて、その訃報もベタ記事すら掲載されなかった。
いわばグッド・タイミングで三浦氏の文章が目に入り、DIVAだけてなく、この隠れた逸材の声も注意して聞くことが出来た。
三浦氏は持ち前の語学力にものを言わせて、いろいろな本を読まれ、仕入れられた豊富な話題を、その書き物に自在にちりばめながら、古今のあらゆる音楽を語っておられる。小説や詩にも造詣が深く、英語圏のみならず、例えばスペインの悲劇の詩人ロルカを語っても間然するところがない(ファリャとロルカ)。
1人の隠れた逸材の歌手を書いて、これほど最適な人はいないし、ぼくの目には他にこんな音楽読み物のエッセイストは見つかっていない。音楽雑誌はどちらかというと、氏には埋め草的な小文やら、ちょっと面白い話みたいな読み物を書かせることが普通だった。先のオーディオ誌の連載なんかは、いわば例外的な原稿だろうか。これって、作家で音楽エッセイを得意とした、あの五味康祐氏の後続連載だったのだろうか?
好エッセイを折に触れて読む楽しみ
本来ならば、雑誌に発表されたままで、1冊の本にまとめられることのない、そんな音楽エッセイだが、書き手にとってもまたぼくのような読者にとっても幸運なことに、三浦氏の文章を東京創元社が集大成してくれたお陰で、今も折に触れて取り出しては読むことがある。
68年に「音楽の友」誌に書かれた『ミニの女王の隠れたるロマンス』は、1年前の67年に大阪で開催された画期的なワーグナー上演でブリュンヒルデ(ワルキューレ、本邦初演)を颯爽と歌ったアニヤ・シーリア(ジーリアらしいが)の、ヴィーラントとの愛を紹介したものだが、ほんの2000字ほどのショート・エッセイである。読み返してみると、何でもシーリアはこの頃にフランクフルトで意欲的なヴィオレッタを歌って好評だったとある。それは「ヒロインが下層階級の出身であることを強調した官能的な演唱」だったそうだ。しかしメジャー・レーベルは彼女はワーグナー歌いと決め付けて、録音しようとはしなかった。クラシカ・ジャパンで放映された彼女の満50歳の時に制作されたドキュメントを見ると、彼女は愛する天才演出家の早過ぎた死に殉じて、25年間ワーグナーを歌わなかったそうだ。ヴィーラントの演出で、何でもパリで歌ったサロメ――ルルと共に2大レパートリーだったらしいが――もしも、今ひとつタイミングを逸していなければ、あのカルロス・クライバーと縁があったかも知れぬ。閑話休題――三浦氏のひそみに倣うと、あだしごとはさて置きつ、とルビをふることとなる。
氏は何もオペラず主たるテーマではない。ほとんどは、オーケストラであり、また指揮者や器楽奏者の話である。ネタ元は、外国の雑誌や新聞、音楽家の自伝や評伝などだから、その拾い読みによる雑文書きと悪口を言う向きもあるだろう。氏がお得意とされた、オペラ歌手などの笑い話や何かを楽しまれた読者ならお分かりと思うが、こういう読み物こそ、雑誌のいわば香辛料なのだ。その意味でも、氏は格好の音楽コラムニストでもあった。
いろんな素材、多彩多様なネタを、その的確な視点で読み解き、それを練達の書き方でエッセイに仕立てる――そこに三浦淳史という書き手の真骨頂がある。
音楽世界全般の、優れた話題収集家だった。その根底には、聴き手としての確かな耳があり、そしてスコアはもちろん詩や何かを読む眼が光っていたからこそ、こんな文章が数多く書けたものだ。
今日、その点でも氏の衣鉢を継ぐ人は見受けない。今も持ち前の語学力にものを言わせて、外国の面白い音楽ネタを発見している人は大勢おられよう。しかし、第二第三の三浦氏が現れる気配はなさそうだ。
センスがあるかなしか
『レコードを聴くひととき』の目次を見てみよう。《ドン・ジョヴァンニ》を聴きながら死んだ男/指揮者とポルノ/クレンペラーのMボタン/鉄道マニアだったルドルフ・ケンペ――エトセトラ、思わず読みたくなるようなタイトルが並んでいる。あのショルティが、ウィーン・フィルの団員たちに嫌われた、なんてことを得々と書く手合いはいても、世間のおもしろネタをチョイスしては、それを巧みに料理するにはやはりセンスが無くてはならない。
演劇評論家に、戸板康二という人がいらした。1度でいいからお話を、思いながら再三あったにも関わらずチャンスを逸してしまったが、氏のベストセラーに『ちょっといい話』があった。劇界中心のいろんな人物との出会いで、その折に触れて多分メモされた断片的印象を基にして、それらの短文は書かれたと思われるが、それとて、抛ってけば単なる備忘に過ぎない。断片を料理する腕前があるか無いか――ふーん、これは面白い、ちょっといいお話だ、と読者に思わせる、そんな一文に仕立てる――そのセンスと腕前が、戸板氏同様に、三浦氏にも大有りだった。
三浦氏はその文章の中身を受けて自他共に〝海外屋〟と称しておられたようだが、こんな文章でもわかるように、〝最新情報屋〟でもあった。『センセーショナルなオペラの新星』がそれで、シルヴィア・シャーシュのことを逸早く書いたものである。ぼくの乏しいLPコレクションに、彼女のアリア集(最初に手が出たのは、さすがデッカだ)が加わった。氏の文章にこんな記述がある。オケ伴奏をしたランベルト・ガルデッリに触れて、「(…)指揮はLSOを完全にピットのオーケストラに化し、ときにはすさまじい迫力を、ときにはリリシズムの極致をバックに敷いて、シャーシュの歌唱を活かしている」と。これを読むと、彼はやはりオペラの伴奏はピットの音、つまり歌劇場のオーケストラにこそその味わいが出るもの、とお考えだったことがわかるというものだ。そうでなければ、ロンドン交響楽団というコンサート・オケのことをこんな風には書かないだろう。
この短文にはもうひとつ、彼女の録音紹介がある。それはモーツァルトのコンサート・アリアなどを入れたLP(ハンガリーのHUNGAROTON)で、絶賛だ。ぼくは最近になって、《ヴェーゼンドンク・リーダー》とカップルにしたCDを入手した。国内発売された模様で、対訳付きだった。大好きな曲ばかりで、中でもK505のコンサート・アリア《どうしてあなたを忘れられよう》が入っていた。素晴らしい声だった。
| 固定リンク
「オペラいろは歌留多・く」カテゴリの記事
- オペラいろは歌留多「く」(2009.03.31)


コメント