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オペラいろは歌留多「や」

 皆さん、今日は。昨今、いささか怠け癖がついておりまして、ご無沙汰してしまっていますが、どうぞお付き合い下さい。歌留多も残り少なくなって来ました。
 今年は、太宰治が生誕100年だそうで、テレビも賑やかでしたが、実はこの人も同じだったのですね。松本清張。作品の物量では比較にならぬ、巨大な森ですが、最近になって読んだ短編小説があります。これを見出し風に書けば、さしずめ「清張のオペラ小説発見!」といったところでしょうか。表題は『モーツァルトの伯楽』。え、そんなもん知らんなー、読んだことないなー、ってでかすか。そう言って下されば一安心。そんなユーメイな作品を知らんのかいな、と言われるとつらいものがありますが、その心配は無さそうです。
 この短編小説は、月刊誌文藝春秋の1990年は7、8月号に掲載されました。翌年8月に『草の径』というタイトルの短編集として刊行。文春文庫にも入れられたそうです。
 1人の日本人の男が、ウィーンにやって来ます。物書きだそうで、何でもモーツァルトとシカネーダーのことを現地検証に来たのだそうです。男は旅行社を通じて、1人の女性をキープ、彼女にドイツ語の通訳と現地案内をさせようというのです。女は、もしかしてイタリアでオペラ歌手としての修行をしたもののようですが、その目論見は外れ、今では帰国もせずに、この古都で、日本人にはドイツ語を、オーストリア人(もしかして、オペラ歌手志望?)にはイタリア語を教えて生計を立てている様子。それにこんな現地ガイドも。
 男は早速タクシーをチャーターして、ザンクト・マルクス墓地を皮切りに、主としてシカネーダーのことを調べようというのです。
 これは特にストーリー展開のある小説ではありません。男と女の間には何も起きないし、事件も大発見もありません。
 「魔笛」を生み出した張本人、エマヌエル・シカネーダー。作家がどうしてこの人物のユニークさ、重要性を知ったものか、今では伺う術もありませんが、この小説が、作家のスタッフなんかによる調べ物をベースとした、いわば俄か勉強的な薀蓄ではとうてい書けぬ内容です。
 もしかして、松本清張は大のオペラ・フリークだった? 少なくとも、この「魔笛」に関してはかなりの理解度だったことが歴然とした作品です。こんなオペラ小説は、清張で無くとも珍しい。永井荷風にもありませんし、三島由紀夫にもありません。
 単行本の刊行された年に、原研二なる人が新潮選書の1冊として、『シカネーダー~「魔笛」を書いた興行師』という面白い本を出しています。これって、もしかして清張の小説が引き金になったものか? そんな風に思えるタイミングなのですね。

オペラいろは歌留多『や』山の字に並んだ名前の意味深さ

 ひと頃雑誌の編集に興味を抱いた時期があった。劇場勤めの時代、毎月の公演パンフレットを編集するのが楽しみだった。台本をもらい、梗概(あらすじ、シノプシス)を書く楽しさといったらなかった。
 雑誌の編集長にとって、定番の原稿依頼もさることながら、意外な人選による、読者の意表をついた読み物を掲載出来る喜びは、格別のものがあるだろう。ぼくの貧しい体験。市川猿之助丈の公演で、あの梅原猛先生に原稿をもらった時はうれしかった。後年先生は、スーパーカブキの台本をお書きになるのだ。
 レコード芸術に、ドナルド・キーン氏が音楽エッセイを連載されたが、これなんかも、編集長にしてみれば、してやったりのお手柄だっただろう。ところがここに1つだけ面妖なことが起こっている。
 『音盤風姿花伝』なるシャレたタイトルをつけた名音楽エッセイは、中公文庫に入ったから、まだ簡単に読めるはずだ。でもそのタイトルは『音楽の出会いとよろこび』と変えられた。『続
・音盤~』は『わたしの好きなレコード』と来たもんだ。何たる陳腐さ。サブ・タイトルにする配慮もない。原題が一般的じゃない? 読者を馬鹿にするにもほどがある。永井荷風の『日和下駄』を『東京下町散歩』なんて改題しますかねえ。
 ところで『音楽の出会い~』のあとがきを読んで実はびっくりしたものだ。

 さらに驚くべきことが
 このエッセイの原文は英語で書かれ、それを中矢一義氏が訳されているが、氏の「訳者あとがき」を読むとこんなことが書いてある。「(…)実は雑誌連載中、編集部からあまりオペラの話題ばかり取り上げないでほしいと注文がだされていた」とあるではないか。理由は「オペラについての文章は読者にあまり歓迎されないから」なんだそうだ。雑誌連載は、78~9年の頃だったか。これって一体何だ? ホントかしら? あのカラスが亡くなった時に『悼惜マリア・カラス』(これも『マリア・カラスを偲ぶ』と丸くされて文庫に収録)なる名文をお書きになられたキーン先生は、言わずと知れた希代のオペラ・フリークだ。そんなご仁に原稿を依頼しながら、オペラのことは余り書くな、とは編集者の言う台詞だろうか。それかあらぬか、同氏の今ひとつの名著『つい先の歌声は』(こちらは音楽の友誌連載)は、未だ文庫化されていない。ロジーナのアリアをお使いになったこのシャレたタイトルを、適当な文庫版題名にする名案が浮かばなかったからか?
 話を戻す。意外な人材による音楽エッセイ。ぼくがまず思い浮かべる人は、時代作家の五味康祐氏だ。彼に原稿を書かせたのは、美術雑誌ともいうべき芸術新潮だった。「西方の音」と題されたこの一連の好読み物は、昭和38年秋から連載が始まった。クラシック音楽のレコードの話はもちろんのこと、氏のお得意の巻であるオーディオ談義――タンノイの究極のスピーカー・システム「オートグラフ」絶賛論議などなどを交えて、この名物エッセイは同誌の普段の読者以外にも大いに話題になったものだ。
 本になる時には『西方の音』と『天の声』として2冊に分けられた。これも今となれば、古本屋のお世話にならねばなるまい。
 その『西方の音』の冒頭に、こんなエッセイが書かれている。曰く「シュワン(Schwan)のカタログというのは大変よくできていて、音楽は、常にバッハにはじまることを私達に示す。ベートーヴェンがバッハに先んずることはなく、そのベートーヴェンをブラームスは越え得ない(…)」――これが第1のエッセイ『シュワンのカタログ』の書き出しだ。

 着眼点に脱帽しよう
 アメリカで発行されていたLPレコードのカタログ「シュワン」。この年刊カタログを取り寄せて、海外盤輸入盤のあれこれを物色した、クラシック音楽ファンは数多い。輸入盤が簡単に、それも安価になんか手に入れ難かったあの頃――。「(…)ベートーヴェンとヘンデル、ハイドンの間にショパンとしいて言えばドビュッシー、フォーレがあり、しばらくして群小音楽家に超越したモーツァルトにめぐり会う。ほぼこれが(モーツァルトが)カタログの中央に位置するピークであり、モーツァルトのあとは、シューベルト、チャイコフスキーからビバルディを経てワグナーでとどめを刺す。音楽史一巻はおわるのである(…)」(以上、原文のまま)。
 一度白紙に大きく「山の字」をお書き下さい。そしてその下にそれぞれの作曲家の名前を書き込んでみれば一段と納得されようか。そう、まずBはバッハとベートーヴェン、そしてブラームス。オペラ・ファンならベッリーニを加えたいところだ。お終いはやはりヴェルディを加えたい。しかしどっしりとワーグナーが殿(しんがり)を務めていることには変わりがないのだ。真ん中に屹立する高峰は、もちろんモーツァルトだ。マーラーもメンデルスゾーンも露払いだし、プッチーニやシュトラウスは太刀持ち以下かも知れぬ。「(…)単にアルファベット順に作曲家をならべてあるにすぎない」シュワンのカタログを見て、こんなことに気付いた五味先生、さすがは一刀斎だ。
 こんな書き手はまずわが国の音楽雑誌には登場するまい。そう、人気作家は原稿料がお高いのだ。もうお1人、これも時代小説の大家村上元三氏。雑誌演劇界の巻頭コラム「元三雑記帳・第29」(80年12月号?)には、同氏も並々ならぬオペラ・ファンだったことが知られて興味深い。この年9月1日に初日を迎えたウィーン国立歌劇場公演は、まずベーム指揮の《フィガロの結婚》で華麗極まりない幕を開けた。今やカラー映像でその一部始終が見られる名舞台。あの先行したベルリン・ドイツ・オペラ(63年)を見逃したぼくのようなぼんくらにとって、これは一期一会のモーツァルトだった。

 いろいろなオペラ談義があっただろうに
「(…)去年から今年へかけて、突然、知人に不幸があったりして、なにをさとおいても弔問に駆けつけなければならない、ということが重なったが、どうかウィーン・オペラの晩だけはそういうことがないように、と神仏に祈った」そして「ウィーン・オペラの歌手ひとりひとりが、オーケストラボックスの中で小さく棒を振っているベームに心酔している、というのがわかって面白かった」などなど。殺風景な音楽評の切り抜きよりも、こんな一文の方が、その時の感動を思い起こすよすがとなって、読みかえすのが今も楽しい。同氏はまた、ベームが指揮したウィーン・フィルも聴きに行かれ、初日恒例の国家演奏を聴かれて、演劇評論家の戸板康二氏と感嘆しきりだったそうだ。残念ながら、この人に音楽エッセイを書かせる編集者は、文芸誌はいうに及ばず、1人も現れなかった。
 昔から、オペラや音楽好きには作家が多い。銭形平次の野村胡堂あらえびす先生はいわずもがな、鞍馬天狗の大佛次郎、鬼平の池波正太郎――。古くは永井荷風大先生は、若い頃はおそらく邦人随一のオペラ観劇の実体験の持ち主だったし、谷崎潤一郎はあのシミオナートを絶賛したものだ。何もキーン先生を引っ張り出して、本意ではないオペラ以外の話を書かせなくとも、日本人の作家だけでオペラ談義に花が咲いたことだろう。
 外国ではも例えば映画俳優だったら、あのバート・ランカスターは大の字がつくオペラ・フリークだったとそうだ。このことを紹介したのは、あの三浦淳史氏だっただろうか。何でも彼はNYへ着くと、もしその日に何も予定が無ければ、一目散にMETへ馳せ参じたという。
 あのヴィスコンティが『山猫』や何かで彼を起用したのは、こんなところに一因があったものだろうか? そんなことを考えると楽しいではありませんか。
 何も作家に限らず、映画俳優、スポーツ選手――え、この人が? と言わんばかりの人物が、音楽エッセイを書く。そんなことがもっとあったってよろしいのだ。政治家――小泉元首相が音楽談義を書く――大歓迎なのに、同じ本にするならばもう少し入念に編集者も気配りをして、あんな上げ底本じゃない1冊に仕立てるべきだ。
 荷風先生は、果たしてNHKイタリア・オペラは何か1つくらいご覧になったものだろうか――戦前のカーピ伊太利大歌劇団は見られたらしいが――荷風オペラ巷談が読みたかった。

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