オペラいろは歌留多「い」
皆さん今日は。初めまして。いささか年季の入った、オペラ・フリークのオジサンです。いろは歌留多もどきに、しばらくオペラ・コラムを続けます。ご笑覧下さい。今年は、こんな3人の名歌手たちの没後周年が重なりました。1人は誰知らぬものとて無い、マリア・カラス。没後30年、早いものですね。エットレ・バスティアニーニ、没後40年。マリオ・デル・モナコ、没後25年。3人は共に50年から60年代へかけて、イタリア・オペラの黄金時代を、スカラ座などを中心に、歌い抜きました。去る4月8日に、神戸で3人を偲ぶシンポジウムを開催しましたが、大方の皆さんから好評をいただきました。皆さんの関心の高さに驚きました。これって、レコード会社は企画出来ないのですね。それぞれ契約が違いましたから。
オペラいろは歌留多 「い」 命短し ソプラノ人生
オペラ歌手の人間としての人生は、人によっては長いだろう。ソプラノ歌手の皆が、佳人薄命というわけでは無い。マリア・カラス、彼女は満54歳を迎える前に亡くなった。これは彼女の人生が短かったことを表している数字であるが、彼女のオペラ歌手としての人生も、世間は短命だったと決め付けた。
北イタリアの古都ヴェローナ。シェイクスピアが劇化してくれたお陰で、不滅の恋物語になったロミオとジュリエットで知られる町だ。毎夏この町にある古代ローマの闘技場アレーナ・ディ・ヴェローナで開かれる、野外オペラのフェスティバル。1947年に上演されたポンキエッリのオペラ『ラ・ジョコンダ』で、1人の当時無名だった若いソプラノ歌手がデビューした。24歳になろうとするカラスである。相手役は、大声テノールのリチャード・タッカーだった。当時のカラスは、何でも100キロ近い大女で、写真で見るとその腕の太さにびっくりするが、この時少なくとも2人の男がこの若い歌手に注目したのだった。
運命の力となった4人の男たち
1人はあの名指揮者トゥッリオ・セラフィンであるが、この時の出会いが1人の無名のソプラノ歌手をして、一躍天才ディーヴァたらしめる糸口となったことは有名過ぎる話だ。
今1人は、歌い手であると共に女としての彼女を発見し、後年に夫となりマネージャーともなった、ジョヴァンニ・バッティスタ・メネギーニその人である。
まだカラスがスマートに変身する前に出会った、3人目の重要な男がいた。それがあのルキーノ・ヴィスコンティその人で、デビュー翌年のことだそうだ。
ぼくはもともと器用人間では無いから、音楽家の録音を楽しむのに、1度でもこの耳で聴くことが出来た人しか理解が深まらず、だから心底から好きにはなれない。カラスもたとえその声が「おいたわしや」とファンが嘆くような有様であっても、あの1974年の2度目の来日が実現していなかったならば、今みたいに真剣に聴こうとはせずにいて、徒に世間を狭くしていたに違いない。
カラスの最盛期は、1960年までだった。この年、カラスはスカラ座で、シーズン・オープニングの演目であるドニゼッティのオペラ『ポリウート』に出た。ぼくの大好きなフランコ・コレッリとのステージは幸い録音が残されており、CDでその様子を窺うことが出来る。当時のカラスは夫メネギーニを捨てて、第4の男ギリシアの大金持オナシスの魔手に絡めとられていたのだったが、この不倫の恋が無ければ、彼女は少なくとも後5年オペラを歌い続けていたやも知れぬ。何度も貴重な共演をしたメッゾ・ソプラノ歌手のジュリエット・シミオナートは、武谷なおみ大阪芸大教授による興味深い映像によれば、「彼女は音楽そのものだったのに」と、この仕儀を残念がっている。
道を踏み間違えた女
年譜を見ると、カラスは59年からめっきりとオペラ出演を減らしているが、それは悪魔の誘いに乗せられたからであった。
57年のヴィスコンティ演出による、今や伝説的になったあの『アンナ・ボレーナ』の再演が、翌年にもスカラ座で上演されたし、例の〝リスボン・トラヴィアータ〟やスカラ座でのベッリーニ『海賊』などなど、まだまだカラスの声は輝いていた。
ヴェルディはデュマ・フィスの『椿の女~ラ・ダーム・オ・カメーリア』をそのままイタリア語に訳さないで、〝道を誤った女〟を意味する『ラ・トラヴィアータ』と題したが、これは実に意味深いものがある。道とは、もちろん人生のことだ。カラスにとって、ベッリーニの『ノルマ』のタイトル・ロールに次いで当たり役であったヴィオレッタ。己が生き方に、痛恨の想いを抱きつつ、血を吐きながら死ぬヒロインを歌い演じて、空前絶後だったカラス。足掛け12
年もの間、スカラ座のトップ・スターとして、古典はグルックから、ヴェリズモのジョルダーノに至る23作品ものオペラのヒロインを歌ってのけたカラス――。後にも先にも、カラスだけだろう。これをしも、短いキャリアだと言うのだろうか?
神様から、有り余るオペラの表現力と洞察力を授けられたカラス。イタリア人以上に、イタリア・オペラの発声に優れ、作曲家の音楽の狙いを感知したカラス――そのために、ちょっとした歌唱のキズにも目くじら立てられたプリマ・ドンナ、カラス。スカラ座の大向こうのみならず、一部の評論家までも敵に回したディーヴァ、カラス――。それって差別では?
カラスが演じたヴィオレッタとアンナ・ボレーナについて、「歌のほうはさておいても、ふたつの最高の演技例だった」と評した人がいた。他ならぬ、その舞台を演出したヴィスコンティその人である。歌のほうはさておいても、とは何たる言い草だろう!(『ルキーノ・ヴィスコンティ~ある貴族の生涯』モニカ・スターリング、上村達雄氏訳、平凡社、82年刊、116ページ)。48年のご両人の出会いとは違って、絶世の美女に変身していたカラス。彼は既に「ひとりの稀な女優の誕生」(同書)を見ていた。だが、カラス本人は自分に天から与えられたお役目を忘れて(!)、オナシスのヨットに乗ってしまった。年齢が離れ、風采が上がらない夫(オナシスはアラン・ドロンだったか?)、いささか守銭奴めいた男とはいえ、自分を発見し認め、家業を投げ打ち、ともかく愛してくれた男を捨てて、加えて神様から授けられた類稀なる資質をゼロにしてまでも、彼女が生きた道――それこそ、〝ラ・トラヴィアータ〟、思えば短い人生なのであった。
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