オペラいろは歌留多・り

オペラいろは歌留多「り」

 9月に入っても、この暑さは果てしなく続き、秋は本当にやって来るのか? と思いますね。実は、暑さボケでも無いのですが、いろは歌留多の「り」を、早くオープンにしていたはずなのです。ところが跡形も見当たりません。何処へ消えた? あわてて、その前説を書き直しています(^^)。パヴァロッティが亡くなりましたね。10月の誕生日を待たずの死。
 カラスもそうでした。9月16日でしたから、満54歳になる前のまだ美貌が衰えぬ迄の死。
 今年の命日はちょうど日曜日と重なりましたので、「偲ぶ会」の集いを企画。ぼくの例によって同じネタのお話を肴に、ワインを楽しんでもらいました。限定30人の会が、満員御礼! やはりDIVAのオーラは生きていました。
 その時申したのですが、一体EMIは何を録音していたのですかね。今度、カラスのスタジオ録音を全部集めたCDボックスが出ました。もち、ぼくも買いましたよ。ダブっている手持ちは売り払って、資金源にしました。この商品のミソは、EMI録音に限らず、チェトラ、リコルディなど他社の録音も全て集めたことですね。おまけCD-ROMの写真集は、こりゃーホンマのおまけ。もっとマシなギャラリーを作らんかい! ――オマケにぼやいてもシャーナイナー(^_^)。 それにしても、サントゥッツァやミミやジルダなんて、別にカラスで無くともよろしかったんやおまへんか。せっかくのチャンスや、もっと他に録音するものがあったはずや。『清教徒』はヒットでした。『夢遊病の娘』も『ノルマ』もケッコー。ヴェルディよろし、プッチーニよろし。後年の『カルメン』も、まーよしとしましょう。あのフィッシャー=ディースカウが待機させられていた話。カラスのゴーサインが出たら、何でも『マクベス』だったそうや。
 彼は後年DECCAにスリオティスとこのオペラを録音。それはイギリスの評論家によれば、スリオティスが「声楽的に未熟で低水準に終始したため、せっかく彼の(…)お気に入りの役であるマクベスの描き方も見過ごされがちのまま、忘れられそうになっている」のだそうです。(『フィッシャー=ディースカウ』ケネス・S・ホイットン、小林利之氏訳、東京創元社)。びっくりしますねー、何処かの島国の評価と全然違いますねー。閑話休題。

 オペラいろは歌留多 リューの死でオペラも死んだ 

 
オペラは死んだ芸術だ、と見破ったのはマリア・カラスだった。音楽評論家でも学者先生でもなかった。言うならば一介(!)のオペラ歌手だ。
 今大流行の演出は、そんな死せる芸術を、必死に人工呼吸これ努めているみたいだが、所詮は〝オペラ植物状態〟の延命治療に、皆さん無い知恵を絞っているに過ぎない。
 プッチーニの白鳥の歌となった『トゥーランドット』。このオペラが作曲家の死によって未完で残され、それを他人が補作して完成させた事実こそ、オペラという芸術の運命を実証したものだろう。その初演の時に、トスカニーニはリューの告別のアリアで指揮するのを止めた。マエストロがこの時、オペラという芸術の終焉を実感したものか、その真意は知らぬが、予感めいたものはあったに違いない。巨匠は若き日のシミオナートに向かい、「サントゥッツァ? まだそんなものを歌っているのですか」と口にしたという。マクベス夫人では声をつぶす、とは一言も言わなかっただろうに。
 ある時代に、オペラは「博物館入り」だと決め付けられたことがあった。
 わが歌舞伎のように、演出を〝型(
かた)〟として残す芸術では無いところに、オペラの運命が見て取れる。これはオペラでは無くミュージカルのケースだが、あの傑作『ラ・マンチャの男』がオリジナルに近い姿で見られるのは、日本だけだ。東宝制作が続く限り、現松本幸四郎さんが演じていてくれている間は、この優れた舞台表現をぼくたちは見ていることが出来るのだ。
 
 名演出でも使い捨てにする愚かさよ
 カラヤンが指揮した60年の『薔薇の騎士』。あのルドルフ・ハルトマン演出に惚れ込んでこのプロダクションを復元したい、と考えたり、ヴィスコンティの『ラ・トラヴィアータ』を復活させようなどとは、誰も思わない。それはヴィーラント・ワーグナーの『パルジファル』とて同じことだ。今度、これまでのエア・チェック音源に頼らず、バイエルン放送局の正規音源による64年の『パルジファル』がCD化されたが、後は残されたと伝聞される全曲のカラー・フィルムが日の目を見ることか。
 ヴォルフガンク・ファフナー氏(!)によって抹殺された(?)ヴィーラント・ファーゾルト氏。
 
の近くにおられたある人物によれば、その年限りでヴィーラント演出が終わるとみれば、幕が降りる毎に、大道具や衣裳が、祝祭劇場の裏地で、火の神ローゲのお世話になったという話だ。
 ぼくは大阪でブリュンヒルデを歌ったアニヤ・シリヤ(ジーリヤと表記するのか?)が、満50歳を迎えた年に作られたドキュメントのコピーを見たことがあるが、その中にちらりと垣間見た、67年の大阪国際フェスティバルで上演された『ワルキューレ』の、シャープなモノクロ映像に息を飲んだ。このお宝映像が、NHKのアーカイヴに残っている! もう1作『トリスタンとイゾルデ』は、ニルソンとヴィントガッセンだし、それに何しろ本拠バイロイトでも実現しなかった(!)、ハンス・ホッターのマルケ王ですからね。流出した記録用VTRのコピー映像が、アメリカの海賊DVD屋で商品化されているとは申せ、その映像の精度の違いは歴然だ。
 カタリーナ・ワーグナーさん、どうか跡目相続をされた暁には、これだけは実行して下さい――伯父さんの復権をよろしく!
 
 ワーグナーだけだったら罪は軽いぞ

 ワーグナー演出のレトロ趣味を、一挙に転換させた戦後の新バイロイト様式――この象徴主義を追いかけている間は、まだ罪が軽かった。
 シェローは鳴り物入りだったが、所詮は一過性現象だったし、理想的なコンセプトと見られたピーター・ホールは不発に終わった。さまよえるバイロイトは、今や万策尽き果てたかのようだ。そして、その現象は、広くオペラ界に広がった。
 ワーグナーだけで止めておいてくれればよかったのだ。背広を着たハムレットは、ロミオはもちろん、タミーノにもドン・カルロにも、お仕着せの、それも普段着みたいな身なりを薦めてしまった。着付け師は必要なくなり、歌手たちはメイクを落とすだけで、衣裳のまま幕間に外へお茶を飲みに出かけられるようになった。
 立ち稽古を見せられているような舞台よりも、演奏会形式の方が、はるかに劇的な『ワルキューレ』を堪能出来るのだ(PROMSの先例をご覧あれ)。
 世は映像時代になって、歌手たちは大いに進歩を遂げた。カラスが現役だったとして、彼女でも一工夫致さねばならぬ、と覚悟の臍を固めたことだろう。凡百のデクノボー歌手たちは、トーキー時代に突入した、サイレント時代のスター歌手と、要因は違えども、その運命は同じ道を辿った。
 オペラは死んだ舞台芸術では実は無かった。死なせたのは、舞台を表現しようとした人々のせいだった。からくも『アイーダ』は、新国立劇場で生き残った。このオペラに関してはスカラ座も、見てくれだけは何とか絶滅を食い止めた模様だ。
 徒に、歌手たちに普段着を着せてはならない。ロドルフォに何も正装させよ、と申しているのではない。ヴィオレッタにミニ・スカートをはかせるのはご勝手だが、もっと歌う余裕を持たせておくれ。反対に、殺風景な白いパネル貼りの舞台なのに、衣裳だけがリアルで豪華、というアンバランスも見苦しいとは思われませんか?
 本番衣裳の間に合っていないみたいな舞台稽古を、何も高いお金を取って見せないでおくれ。タンホイザーはホームレスじゃないのだ。

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