オペラいろは歌留多・そ

オペラいろは歌留多「そ」

 オペラ・ファンの皆さん、楽しんでおられますか。ぼく自身、最近は上京もままならず、従って、マリインスキー劇場もパスですが、ご覧になった人たちによる、いろんな感想が聞こえて来て、それを聞いているだけでも楽しいものです。演目が発表された時、「えっ、ゲルギエフが《ランスへの旅》ですか?」とびっくりしたものでした。『ランスへの旅』と言えば、この5月にやっと関西でこのオペラが上演されます。いずみホールの、シリーズになっている〝ホール・オペラ〟公演の演目に取り上げられたのです。
 関西のオペラ・カンパニーで、どの団体が、何時、どんな形でこのスーパー・オペラを上演してくれるか、ぼくは多大な興味と期待を持っていたのですが、それを今回果敢に上演してくれる[岩田達宗プロデュース]に、大声でまずは壮挙のエールを送っておきましょう。

 思えば84年、ペーザロで復活上演された時の映像を、オペラ・フリークの先達S氏のお陰で見せていただいた時の、あの感動が忘れられません。残念ながら、89年のウィーン国立歌劇場の来日公演、あの大事件を、仕事で福岡に長期滞在していたために、涙を飲んだ者として、今度の企画は久々の、落ち込んだ関西圏のビッグ・ニュースでした。もちろん、舞台はお手並み拝見なのですが、それでも佐藤美枝子さんのコリンナ、邦人による初演(2000年)でドン・プロフォンドを歌っている久保田真澄さんなど、このオペラが初体験で無い人たちが参加してくれているだけでも、安心感が漂います。
 ロッシーニなんて、何かクチャクチャ、ベラベラと早口で歌っているだけやおまへんか、と思い込んでいる人がおられたら、その宗旨替えの絶好のチャンス到来でっせ!
 それにしても、今年は大変オモロイ年でんな。半年の間に、関西圏でロッシーニのオペラが3本も見られるなんて! 関西二期会こそ、定番の『セビリャの理髪師』ですが、恒例のスポレート歌劇場が『チェネレントラ』を持って来ます。それに加えてこのいずみホールや――ぜひとも、成果を上げて、錦上華を添えて欲しいものです。期待してまっせ!

 オペラいろは歌留多 『そ』 そして誰もいなくなった

 一頃ぼくは英米のミステリを熱読したものだ。ミステリというよりも、探偵小説の方が通りがよろしかったか。早川書房が、スマートなハヤカワ・ポケット・ミステリを出し始め、ポケミスの愛称で親しまれ、ミステリという言い方も定着した。ぼくは何よりもジョン・ディクスン・カーなるアメリカ生まれの作家が大好きだった。密室殺人など、一見不可能な事件ばかりを描く人で、その全盛の時期には主としてイギリスに住み、ロンドンなどを舞台にして、無類に面白いミステリを書いた。アガサ・クリスティなんかよりも、ぼくには魅力横溢だった。
 あの作曲家の黛敏郎氏が大のカー・ファンで、そのことを東京創元社が出した「カー作品集」の月報に書かれた。ぼくも一応クリスティは読んだが、数は知れている。
 そんな乏しいクリスティの1作に、芝居にもなった『そして誰もいなくなった』(1940)というのがある。これは実は米版のタイトルで、原題は『テン・リトル・ニガーズ』という。『10人の小さ黒んぼさん』だと、アメリカでは具合が悪かろうとて、"And Then There Were None"とされた。もっともその本来の意味は、作中に小道具として使われる、小さな人形のことだ。
 交通の途絶した孤島で、人が1人ずつ殺されて行き、お終いに誰もいなくなってしまう――果たして事件の真相は? という訳だ。
 パヴァロッティが亡くなって、3大テノールの一角が崩れた。彼の没後、何か目新しい映像でも出て来るものか、と待っているのだが、何も現れない。NHK・BS2が特集を組んだが、サンフランシスコ・オペラの『ラ・ボエーム』以外は何も出て来なかった。スカラ座のそれが、ミミがフレーニでは無くコトルバス(指揮はクライバーだ!)なので、あえてこの映像を流したものであれば、気が利いている。何しろ「ミミ死せずロドルフォ先に逝きにけり」だもんね。

 カラばかり大きいだけじゃ無かったぞ
 3大テノールの頑張ってくれたお陰で、イタリア・オペラの平和は保たれた。もともとこの人だけは、後の2人とは違って、独り我が道を往く時代があった。30代から40代にかけて、彼が最も輝いていた時代の記録は残されなかったものか? ベル・カント・オペラをがんがん歌っていた時代の映像――それは本当に残っていないのか?
 サザーランドの相手役で、『連隊の娘』で颯爽とMETに登場したのは、66年だったか。この時にはテレビ放送はされなかったのか? これがきっかけとなって、パヴァロッティは幸いにもDECCA専属となり、サザーランドと組んでこのオペラを皮切りに、その真骨頂の録音が続く。ところがこの島国では、サザーランドが評論家某氏に極端に嫌われたために、その煽りを食ったミスター・ハイCは、71年にNHKイタリア・オペラで初来日するも、その十八番のマントヴァ公爵の映像は保存されなかった。保存されなかったと言えば、あの歴史的な『ノルマ』日本初演ですら、残されていない模様だ。スリオティスがいくら絶不調とは申せ、こちらは絶好調のコッソットだったのに。
 パヴァロッティはDECCA専属時代に、主要なオペラ録音をしてくれたお陰で、その声は見事に録音された。およそ人間の声の記録として、デッカ・サウンドで聴くその生々しさは、他のレーベルの及ぶところでは無い。テバルディが、デル・モナコが、シミオナートが、そしてバスティアニーニが、その恩恵に浴している。声のツヤ、輝き、そして厚みと巾――
さすがにLP初期からオペラ録音を、それもステレオ録音を自家のものとした会社だけのことはある。
 オーケストラとて同じだ。黄金期のウィーン・フィルの響きが、ことにワーグナーではたっぷりと録音された。イタリア・オペラ、例えば最初はRCAで出たカラヤンの『トスカ』の、オケの響きはどうだ。あのカルショーが、1度でよいから、スカラ座のオーケストラを録音しておいて欲しかった。そうすれば、その証拠は歴然だっただろうに。
 ぼくが愛聴してやまぬCDが1枚ある。ぼくは余りアリア集は聞かぬものだが、これは例外の1枚で「パヴァロッティ・ドニゼッティ・アリア集」(LONDON)。全部で13曲のアリアが収められているが、3曲を除いて全曲録音から採られた。彼がテノール歌手として、如何に我が道を往く存在だったかを、一目瞭然にしたアルバムだ。何でも、日本独自の編集ものだとか。やってくれたじゃありませんか、日本ポリドールの誰かさんよ。
 
 彼とてもお歳と共に声が重くなった
 後年、声が重くなった彼は、ヴェルディ後期の諸役に手を出す。そんな中で、彼に最も適した役は、リッカルド――『仮面舞踏会』だが、ぼくは断然旧盤を聴く。テバルディとの共演が実現したのも嬉しい。当たり役の1つロドルフォは、さすがに理解の行き届いた会社とて、フレーニとの名コンビを録音したが、オケが腰の重いベルリン・フィルというのが画竜点睛を欠く。この時、スカラ座だったら!
 ルチーアの狂乱の場で出番を終えて、この後テノールが非力だと、もうオペラはお終いになりかねない。しかし彼みたいなエドガルドだと楽しみは続く。[わが祖先の墓よ]は、もう最高だ。何もぼくだけが提灯持ちをしているのではありませんよ。周りの誰もが、皆さんそう感じている。イタリア・オペラならでは、の、いわゆる「乗り」が顕著である。こんな歌い振りの歌手は、もう聞けないのではないか。強烈な声のオーラ――ディ・ステーファノ、デル・モナコ、コレッリ、そしてパヴァロッティ。そうだ、ベルゴンツィを加えておこう。このうち、ディ・ステーファノとコレッリは、レコード会社が違ったために、録音で割を食ったかも知れぬ。その声の光芒が、いささか他の3人に差をつけられたようだ。
 カルロス・クライバーが90年にMETで『薔薇の騎士』を振った時に、何とパヴァロッティが出たのだそうだ。歌手の役に、レコード録音じやあるまいし、彼を出す方も出す方だが、歌い終わって大拍手――見ていらした神沼遼太郎氏は肝を潰されたそうだ(WAVE31号「カルロス・クライバー」178ページ)。
 久しぶりに、ローマの3大テノールの映像を見た。やはりこれが公演された場所といい、最高だ。実はこの後、彼はどんどん過去の栄光を忘れて行く。体型だけは発達して(!)、
益々鯨型になり募る。しかし、全世界のファンたちの信仰は薄れない。
 彼の死によって、また1つ伝説は生まれたが、お陰で舞台からは人影がいなくなった。

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