オペラいろは歌留多・つ

オペラいろは歌留多「つ」

 オペラ・ファンの皆様、今日は。ぼくの好きな言葉の一つに、「臨場感」というのがあります。その場に、恰も居合わせているかのような、そんな感じを味合わせてくれる――そんな感覚。別の言い方をすれば、一種の錯覚、疑似体験――オペラのライブ・レコーディングが、ぼくには一番この言葉がピッタリのものですかね。
 今日、オペラは何か映像主導型になって、レコーディングが少なくなりました。メジャー・レーベルが、お金がかかる割には回収率が低いとて、オペラの新録音をやらなくなり、雑誌の新譜月評でも、オペラの欄が抜ける月がままあります。要するに見本盤が提供されないから、月評執筆者も開店休業なわけですが、これって先生方は減収ですよね。別にぼくが心配することはありませんが(^_^)、まずはお気の毒、とご同情申し上げておきましょう。映像は毎月のように新ネタがあり、またCDの海外盤もそうですが、これはこれで別立てで、担当者が他にいらっしゃる。何も、発売が遅くて価格の高い国内盤に、この際固執せずとも、何か切り口は無いものか、と余計なことを考えます。
 おっと、脱線しました。臨場感について、雑談をするはずでした。

 ぼくは、拍手などの雑音とか、プロンプターの声とかには、余り頓着しないで、この手のライブ録音をよく聴いてきました。今も、そんな音源を――正規、非正規に関わらず、ちょくちょく求めています。会場のノイズよりも、気になるのはやはり音質ですね。聞くに耐えるかどうか――その方が、拍手の有無なんかよりは余程重大です。最近も、こんな録音を、買おうかどうしょうか、とつおいつ思案しました。カラヤンがスカラ座で指揮した『トリスタンとイゾルデ』全曲。何でも初出とか(3CD、伊GOLDEN Melodram)。顔触れが何しろ凄いのです。 ニルソン、ヴィントガッセンにナイトリンガー(クルヴェナール)、ホッター(マルケ王)。データを見れば、1959年4月4日とあります。
 音はアカンやろなーと思いつつ、辛抱出来ずに注文。聴いてまずは安心しました。声が潰れたオーケストラに埋没していない、それにキンキンしたり、歪んだりしていない。レーベルは違うけれども、昔掴まされたスカラ座ライブのカラスの『ルチーア』よりは遥かにマシや。ニルソンが本格的にバイロイトでイゾルデを歌うのは、57年からですから(ブリュンヒルデは60年から)、これは貴重な音源です。それに、ホッターは確かクルヴェナールは歌っても、マルケ王はバイロイトでは1度も歌っていない! これだけでも、聴いてみる値打ちがあろうというものです。因みに、あの大阪ワーグナー祭は、そのホッター〓マルケが実現しました。何しろ本来は歌う出番の無い第1幕で、出迎えに現れたとの設定で、彼の長身が舞台で見られた(カーテンコールも)のですから。
 この演奏、歌手陣は申し分ないのですが、不思議なことに、カラヤンに何かしら凄みが乏しいのですね。1度だけさーっと聴いただけですが、ダイナミックな感じや何か、何時ものマエストロのこってりした味わいが無い。52年のバイロイトの同曲を、CD化されてからまだ聴いていないのですが、もしかして彼はこのオペラが不得意? 51年の『ジークフリート』なんかの「乗り」が無いように感じられます。ぼくだけの早合点でしょうか? それに、聴衆の拍手が、何か余所行きだ。ワーグナーが苦手? ――いや、そんなことはありますまい。添付のパンフレットに見る、ニルソンのスカラ座出演歴。その凄いこと! 58年にブリュンヒルデ(ワルキューレ)でデビューし、72年にエレクトラでスカラ座との縁を終えたDIVAの活躍の後を見てみると、これが他のオペラ・ハウスに有らず、スカラ座というところがお見事としか申しようがありません。このCDでお確かめになられたあなたも、同感でしょう。

 オペラいろは歌留多 『つ』 〝月も曇りぬ〟をなぜ作曲致さぬか

 山田耕筰作曲の大作オペラ『黒船』が、新国立劇場のシーズン・レパートリーとして完全版の上演が実現した。一見したファン氏が、その見応え聴き応えを語ってくれた。
 日本は言わずと知れたオペラ後進国である。まだまだ紹介されねばならぬオペラの名作は、数限りなく存在する。本邦初演の栄に浴するオペラは数多ある。
 そんなわが国だが、とにもかくにもオペラ・ハウスが出来たのだ。オペラのシーズンの開幕――それも実現した。しかし、その初日が、テレビのニュースになることも無いし、NHKがそんな中から、優れたプロダクションや、思い切った本邦初演物のオペラを、小まめに中継してくれることも無い。わが国唯一のオペラ・ハウスだ。新制作くらいは、全部中継したって、バチは当たるまい。アイデアも何も無い、新年のアリア大会なんか中止して、その経費で生中継でもしたらどうだ。そして国立だぞ、全国民に見せるため国も金を出せ。
 日本という国は、どうしてオペラの理解力が、これまで無かったのか。特に戦前はどうだったのか。私たちの体力が非力だったから、オペラが歌えなかった? それもあるだろう。野球選手と同じかも知れない。しかし、理解力は? これも無かったのですね。
 75年にMETが初来日した時、何としたものか、「アメリカにオペラは無かった」とお書きになって、あのキーン先生をして、「これまで見て来たものは、あれは何だったのか?」と嘆息せしめた評論家先生がおられた。その先生の伝で参れば、戦前の日本には「オペラは無かった」のだ。え、カーピ伊太利大歌劇団が来ていたって? 浅草オペラの時代があったって? もちろん、そんな一過性の時代はあったのでしょう。しかし、オペラの「理解」は無かったのだ。NHKがイタリア・オペラ公演を実現するまでは――。

 作曲家がまずは理解に乏しかった?
 日本人が、オペラという舞台芸術を、一般的に理解していなかったのは、まず大衆が理解出来る題材のオペラが作られなかったからだ。1例をあげよう。尾崎紅葉原作の人気小説『金色夜叉』を、真面目にオペラ化しようとする作曲家がいなかったのだ。どうして、あの名台詞「(…)来年の今月今夜、この貫一はどこでこの月を見るのか。再来年の今月今夜、十年後の今月今夜、おれは一生を通じて、今夜のことは忘れない。忘れるものか。来年になったら、きっとおれの涙で月を曇らせて見せるから、月が曇ったら、この寛一は、どこかの果(はて)で、今夜のように貴様をうらんで、泣いていると思えよ(…)」と、この間貫一の台詞が、文字通り声涙倶(とも)に下る、テノールの名アリア――あの[星も光りぬ]みたいな――に作曲されて、それこそ蕎麦屋の出前持ちのアンちゃんが口ずさんでくれていたなら、この国のオペラの受け入れ事情は変わっていたに違いない。更に言うならば、長谷川伸の名作『一本刀土俵入り』や『瞼の母』のような題材を、賢くも(!)作曲家たちが選んでくれていたら――と、切にに思うものである。
 デュマ・フィスの『椿の女』に着目したヴェルディは偉かった。『婦系図(おんなけいず)』を書いた泉鏡花も偉かった(!)。これこそ、オペラの題材だった。
 実は1人だけ、この着想に気付いていた文学者がいたのだ。その人の名は、永井荷風。
 アメリカからフランスへ――若くして遍歴していた彼――壮吉青年は、また元祖オペラ・ファンでもあった。このことについては、ここではこれ以上触れずに置く。
 19世紀に入ってからのオペラは、大衆のものなのだ。だが江戸時代の歌舞伎が、もともと民衆の人気の下で進化したものとは違って、オペラは貴族や王侯の庇護の中で発展した。オペラとは、歌舞伎のように庶民の出す〝木戸銭〟とは違い、大きなパトロネージの許で発展した芸術であることは自明の理ながら、この理屈だけでも、オペラは歌舞伎に対して、自立性の問題で肩身が狭かろうというものだ。
 ただ1人だけ、若き日の荷風先生だけが、ヴェリズモ・オペラに理解を示し、『葛飾情話』なるオペラ台本を書いた。

 オペラだけの問題では無いのだが…
 それは歌曲の問題でもあった。日本にシューベルトのような作曲家が出なかったのは、それは事実であるが、歌曲を作曲するに当たり、日本の詩人たちが書いた優れた詩を、誰もが読み取って歌を作ろうとはしなかった。
 詩人の中には、北原白秋を始め、器用な詩人がいて、いわゆる歌謡詩といった、適度に韻を踏んだ詩を書いて、それをまた作曲家が好んで曲をつけたものだ。
 学説的には二流の詩人といわれたヴィルヘルム・ミュラー。その連作詩である『冬の旅』に着目したシューベルトの偉さ、凄さ。そんな芸当に達せずともよろしいのだ。普通の詩に、誰かが霊感を得て歌曲を作曲してくれていたら――何も安直な軽い歌謡詩ばかりに、好んで節をつけずとも――そこにドイツ・リートのような歌曲が生み出されていたものならば、日本の洋楽展開も、もっとぼくたちの耳をそばだたせてくれていたものを。
「皿にはをどる肉さかな/春夏すぎて/きみが手に銀のふほをくはおもからむ。/嗚呼秋ふかみ/なめいしにこほろぎ鳴き/ええてるは玻璃をやぶれど/再会のくちづけかたく凍りて/ふんすゐはみ空のすみにかすかなり。」――。
 これは萩原朔太郎の『再会』という詩の1部だが、こんな名詩を誰も理解して作曲した人はいないのだ(詩集『純情小曲集』所収)。文字が多すぎるというのだろうか?
 何も朔太郎に限らない。詩人は多いし、詩も沢山ある。白秋にだっていろいろあります。
 問題は作曲家だ。日本人のDNAに、西欧人並みの劇音楽の遺伝子は受け継がれていないだろう。しかし、たった1曲の歌――ミュージカル『キャッツ』の、あの[メモリー]みたいな名歌を作曲出来る人は現れるやも知れない。しかし、モーツァルトのオペラのグランド・フィナーレやロッシーニのコンチェルタートみたいな音楽は、まず作曲出来ないだろう。
 オペラやミュージカルに不可欠な、アンサンブルやコーラス、ソロからデュエットへ、更には多声へと膨れ上がる音楽の積み上げを、自在に繰り広げられるテクニックは、意識しようが見よう見まねだろうが、所詮ぼくたちには無理だろう。
 しかし何でもよろしい。たった1曲のアリア『月も曇りぬ』が生まれていたら、それでよかったのだ。例の浅草オペラは仇花だったのだ。オペラの理解と定着とは、無縁の代物だった。誰が抗弁しようが、長続きしなかった事実が物語っていよう。
 オペラのヒット現象は、2人の作曲家を最後にして終わりを告げた。イタリアのプッチーニと、ドイツのR・シュトラウスだ。わずかにレハールなどのオペレッタに余命を繋ぎ、そして今ではミュージカルにその命脈を繋ぐだけが精一杯の音楽劇。オペラは、いわゆる現代オペラに突入し、酸欠状態になり死滅した。
 大衆の拍手喝采だった欧米のオぺラ――せっかく「お代(チケット代のことですぜ!)は観てのお帰り」というステキなスローガンを生んだ、歌舞伎のニッポン――それが生かせられなかったものが、オペラだ。ぼくたちが理解して、まだ半世紀なのだ――だから、ブーイングなんて、10年早いぞ、皆さん!

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